滝山雅夫 氏 (株)アニマックスブロードキャスト・ジャパン

アニマックスの成功は開局前から確信していた

2019年5月号掲載

滝山雅夫氏(株)アニマックスブロードキャスト・ジャパン 代表取締役

アニメ専門チャンネル「アニマックス」は1998年(平成10年)7月に誕生。株主からの強力なコンテンツを編成し、後発チャンネルながら視聴可能世帯数No.1のチャンネルへと急成長を遂げた。その「アニマックス」で開局時から陣頭指揮を執っているのが、滝山雅夫氏。日本アニメ輸出の第一人者でもある滝山氏にアニメビジネスとの出会い、アニマックス創設から現在までの歩みを聞いた。


延べ1万エピソードにも及ぶアニメ作品を欧州で販売
2013年4月、世界最大のテレビ番組見本市「MIPTV」にて、世界各国に日本のテレビ番組を販売して、“日本アニメ輸出”の第一人者として、「テレビ業界を国際的に発展させた6人」に選ばれ、特別功労賞を受賞されました。滝山氏とアニメの出会いはどんな感じだったのでしょうか。

滝山:アジアビジョンへの入社がきっかけです。アジアビジョンは、フジテレビが日本の番組をアジアで放映することを目的に設立した子会社で、台湾や香港に、『鉄腕アトム』『リボンの騎士』などを売り込んでいました。フジテレビ制作以外のテレビドラマなども販売していましたね。
そのアジアビジョンが1979年に、番組輸出先をアジア諸国だけでなく、欧州まで広げることとなり、私が直談判して、欧州担当をかってでました。翌年アジアビジョンはフジエイト(現フジクリエイティブコーポレーション)となり、欧州への番組販売が本格化します。実働部隊も大きな組織となり、私も、その一員として欧州中を飛んで回りました。

現在の日本のアニメーション人気の原点が、79年~80年なのですね。相当の苦労もあったと思いますが。

滝山:最初は難航しましたね。80年代は欧州で民放地上波テレビ局の開局ラッシュでした。しかし、番組スポンサーが付きにくいことや、ディズニーなどの米国大手スタジオ作品は国営放送がすでに権利を獲得していたこともあり、子ども向け番組が圧倒的に不足していました。そこで白羽の矢があたったのが日本のアニメーションでした。
そんな時、私に声をかけていただいたのが、ベルルスコーニ氏が率いるイタリアのテレビ局、カナレ5で児童番組の編成局長をしていたアレッサンドラ・バレリ・マネラさんです。彼女との厳しい交渉の末、フジテレビの「世界名作劇場」で放送された『ふしぎな島のフローネ』の販売にこぎつけることができました。
ベルルスコーニ氏はイタリアを起点に、フランスやスペインにも事業を拡げていきます。
その拡大とともに、日本製アニメも多くの国で放送されていきました。
そして、日本製アニメの視聴率はどこの国でもとてもよく、どれもうなぎ上りに人気が出ていきました。
やはり、日本製アニメはストーリーがしっかりしていることもあって、国境を越えて受け入れられていきました。
『ドラゴンボール』や『キャプテン翼』『美少女戦士セーラームーン』などの日本製アニメをたくさん輸出しましたね。
僕も30分番組で延べ1万エピソード販売し、様々な放送局とビッグディールを手掛けていました。

その後、アニマックスに携わるようになりますが、その時の感想は。

滝山:年5回は欧州出張があったし、仕事もビッグディールばかりでやりがいを感じていたから、最初、衛星放送の話が来たときはショックでしたよ(笑)。ただ、自分のネットワークと知識を活かし、専門チャンネルを立ち上げられることは、楽しそうだと思いました。24時間365日アニメが楽しめる夢のような専門チャンネルが誕生するんだから、どこにも負ける気はしませんでしたし、成功は確信しましたね。