No.230 情報の中に存在する微生物のような自分

2021年7月号掲載

知ってしまったことで幸せにはなれない

ふと、考えた。
自分たちがなんて凄い世界に住んでいるのか、と。
貰いもののチョコを頬張りながら、G7のニュースを見ている。世界を動かす人たちの一挙手一投足を、Twitterを縦スクロールしながら見ているわけだ!
便利な時代になった反面、あまりにも余計なことを知りすぎたのかもしれない。1964年の東京オリンピックの背景で何が起きていたのか、当時のメディア状況では知る由もなかった。何も知らないと、単純に素直に応援できたのかもしれない。
21世紀の知りすぎた自分たちは、知ってしまったことで幸せになれないし、いや実は知っていると思い込んでいることは、別の何かを知られないために知らされている、とまで心配しなければならなくなった。
韓国の大統領から「ちょっとベンチに腰掛けませんか?」って誘われないように、日本の首相が韓国の通訳を連れていかなかったり、アメリカの大統領がロシアや中国の人権侵害を怒っているのに、中東の国を壊滅させようとしたり、自国の人種問題を解決できなかったりする。そんな世界の出来事を瞬時に受け取れる時代に我々はどのような態度で、世界と日常と自分の生活を考えたらいいのだろうか。以前では考えられなかった分量の情報を、どう自分の脳で処理したらいいのか。総務省がインターネット出現以前(1995年)と以後(2005年)での個人の情報分量を比較したら、なんと500倍以上になっていた! (FAプロダクツWebサイトより(https://fa-products.jp/factory/knowledge/124/))脳の容量は変わらないので、その分、人々は新しい情報処理を考えなければならなくなったのだ。

信じていいものか考え直す必要がある

多メディア化により、本当の“シンプルな事実”が頭に入らなくなった。事実のまわりにある余計な間食ばかりをしてしまい、頭が肥満になっている。
1/40万のワクチン副反応は、すぐに自分にも起きるものだと思ってしまう。多くの脂肪が邪魔して人間らしい営みを困難にしている。
情報のリソースが少ないと、為政者に国民がマニピュレート(洗脳)される、という意見もあるが、ドナルド・トランプが当選したアメリカ大統領選のように、SNSでいとも簡単に他国から操られた(ケンブリッジ・アナリティカ事件)ことを考えると、情報リソースの多様化が必ずしも民主的な情報の受け取り方とはいえなくなったのではないだろうか。
つまり、個人が事実をきちんと知ろうとする努力がないと、どんなメディア環境だろうが、人々は他人のフィルターを通じた自分しか持つことができない。
自分たちの信じていることは、自分たちが信じていいものか考え直す必要がある。
そのために、今日も朝起きて昨日と変わらない青空がでているか確認するのだ。



福田 淳 FUKUDA ATSUSHI
ブランド・コンサルタント
http://tabloid-007.com @fukudadesuga

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