和崎信哉 氏 (株)WOWOW

時代といかに向き合うか これこそがマスコミの責任

2019年6月号掲載

和崎信哉氏(株)WOWOW 取締役相談役

1984年(昭和59年)、初の民間衛星放送会社「日本衛星放送」として設立され、91年4月から放送を開始した「WOWOW」。有料放送&衛星放送という新たなメディアを切り拓き、新たな市場を構築したWOWOWだが、その道のりは想像を遥かに上回る険しい山々の連続だった。そのWOWOWを2006年(平成18年)からけん引してきたのが、和崎信哉氏。デジタル時代を機に「流通業からテレビ局へ」のメッセージのもとWOWOWは徹底したコンテンツ主義を掲げ、かつ3チャンネル放送の開始やオンデマンド配信等、新サービスを続々と投入することで成長し続けてきた。和崎氏にWOWOWを再び成長させることができた要因や、放送事業、そしてコンテンツへの思いを聞いた。


「もう一度WOWOWはテレビ局になろう」
コンテンツへの投資を加速
( 一社)地上デジタル放送推進協会(D-pa)専務理事を務めていた和崎さんが06年6月にWOWOW代表取締役会長に就任され、翌07年には代表取締役社長に就任されます。その時の思いは。

和崎:00年12月にBSデジタル放送がスタート、03年に東京・名古屋・大阪にて地上デジタル放送がスタートし、06年には全国の県庁所在地でのデジタル化が開始されました。全国での地上デジタル放送の道筋が見えた05年にお声がけいただき、有料衛星放送のデジタル化の設計図を描くことに魅力を感じ、衛星放送の先駆者であるWOWOWのお手伝いができるのであればと思い、お受けさせていただきました。
しかし、社長就任の年は眠れない毎日が続き、失敗したら即、身を引く覚悟でいました。と申しますのも、WOWOWのデジタルシフトは、想像を遥かに超える難題だったからです。当時のWOWOWの累計正味加入契約件数は230万世帯超でしたが、デジタル放送加入件数がアナログ放送の解約件数を上回らず減少する一方で、デジタル化へスムースに移行できていませんでした。アナログ加入者は2011年のアナログ放送終了時にはゼロになってしまいます。それまでに、加入減少を食い止め、再び右肩上がりのトレンドにすることが至上命題でした。

しかし見事にV字回復を遂げますが、改革時まず社員にお伝えしたことは。

和崎:加入者を喜ばすことができて初めて右肩上がりのトレンドを築くことができます。そのために「もう一度WOWOWはテレビ局になろう」と声を掛けました。
アナログ放送時とデジタル放送時ではWOWOWのビジネスモデルは大きく変わりました。アナログ時は、STBがなければ視聴できないビジネスモデルでした。しかし、デジタル放送になり、デジタルテレビであればSTBなしで視聴可能になりました。アナログ時代のWOWOWの命題はSTBの普及であり、いわゆる流通業に近いものでした。しかし、デジタル時代に問われることは、お金を支払ってでも視聴したいと思ってもらえる番組をいかにたくさん放送できるか、まさに中身が問われているのだと訴えました。

ここからWOWOWのコンテンツ強化策がスタートしていくわけですね。ただ経営的には厳しい状況であり、コンテンツ投資は楽ではなかったと思います。

和崎:WOWOWは92年からテニスグランドスラムのうち全仏・全豪・全米を放送していましたが、08年からウィンブルドン大会の放送も開始し、グランドスラム全てが楽しめるようになりました。ご存知の通り、テニスは1時間足らずで終わることもあれば、5時間以上かかることもあり、いつ試合が終わるかが分からない編成泣かせのスポーツです。映画を楽しみにしている視聴者から厳しくお叱りをうけることもあり、ウィンブルドン大会の放送権獲得時には社内からも反対の声が聞こえる程でした(笑)。
反対する方々の論理も理解できましたが、私は違うんだと。「グランドスラム全てを放送することで視聴者には120%以上のインパクトを与えることができる。3大会のみの放送であればインパクトは50%にも満たない。良いものは全て放送するというWOWOWの姿勢を示そう、その姿こそ今のWOWOWに必要だ」と説きました。
現在人気の「ドラマW」も同様です。良い作品を手掛けてはいましたが、制作本数が少なく、放送時期が不定期だったため、認知が広がっていませんでした。そこで年間8作品を制作し、夏休みに4本集中放送し、秋にも4本集中放送するなど、07年から「ドラマW」の集中編成を開始しました。

そこから現WOWOWの看板である「ドラマW」の快進撃が始まるわけですね。

和崎:集中編成により宣伝もしやすくなり、加入者からの評価も上がりました。有料放送であるWOWOWは地上波放送と違い、ザッピングしながら視聴してもらえるチャンスはなく、コンテンツと宣伝を一斉に集中投下し、リーチしていくことが大事です。社員の皆さんには、「一つひとつ丁寧に加入者に良質なコンテンツをお届けすることこそが、テレビ局になるということ」と訴え続けました。
結果として「ドラマW」は想定以上の評価を得ることができ、その次のステップとして「連続ドラマW」を08年から開始しました。監督や外部撮影スタッフ、出演者からも「ドラマW」に出演したいというオファーを多数いただけるようになったことで良いスパイラルを描けました。