髙橋孝之 氏 (株)中海テレビ放送

ケーブルテレビの主役は市民 市民の手にメディアを取り戻す

2019年5月号掲載

髙橋孝之氏(株)中海テレビ放送 取締役副会長

(株)中海テレビ放送(鳥取・米子市、加藤典裕社長、以下中海テレビ)は1989年(平成元年)11月に開局したケーブルテレビ局。その中海テレビ放送の発起人の一人が髙橋孝之氏。鳥取県米子市・境港市等をサービスエリアとする中海テレビは、報道番組やパブリックアクセスチャンネルの運営をはじめ、幾多の社会貢献事業を手掛け、近年では地産地消による電力事業へ進出するなど、他にはない多数の事業を手掛ける特色あるケーブルテレビ局だ。その活動から地域はもちろん、ケーブルテレビ業界で確固たる地位を築き上げた。開局から30年以上陣頭指揮を執り、今なお大プロジェクトを多数手掛ける髙橋氏に話を聞いた。

放送だけに留まらず
私たち自らが率先して行動すること
髙橋さんが中海テレビを設立しようと思った経緯は。

髙橋:中海テレビは、開局から5年前の1984年(昭和59年)に設立しました。当時、私は映像制作プロダクション 山陰ビデオシステム(1980年創業)を経営し、鳥取県内の地上波局の番組制作等を手掛けていました。しかし、県内の地上波局の自主制作番組比率は非常に低く、地域のためになっていないと感じており、地域の情報化をしなければならないと考えていました。そんな折、高度情報化社会がやってきて、ケーブルテレビという存在を知りました。
国会議員の相沢英之氏、合同印刷(株)代表取締役の松田喜代次氏、東亜青果(株)代表取締役の秦野一憲氏(前同社社長)、そして私の4人が中心となり、13名で勉強会を開き、開局に向けて準備しました。技術に強い秦野さん、米子の有力者、相沢さんと松田さんがいたから、最新のテクノロジーを即取り入れ、新事業に着手できたと思いますね。

中海テレビの株主数は非常に多いのが特徴です。その狙いは。

髙橋:中海テレビは、市民の皆さん、地域企業の皆さんのための地域貢献事業だと考え、地元の資産家や地元企業1社による出資は避けたほうが良いと判断しました。そこで株主100社を集めようと活動したところ、170社が集い、1社100万円を持ち寄り、資本金1億7,000万円でスタートしました。ただ、誰も“ケーブルテレビ”という概念を知りません。そこで“米子市のテレビ局を創ろう”をスローガンに、中海テレビ放送という社名にしました。
全国のケーブルテレビ局の成り立ちをみると、地域のインフラ産業という側面が強く、ケーブル業界でテレビ放送と社名で謳っているのは数局程度。中海テレビの主軸は開局から現在まで“放送”です。ここが他社と決定的に違うところ。コミュニティチャンネルも多チャンネル放送もソース。ソースがなければ商売は成り立たないし、せっかくのインフラも意味がありません。

ニュース・報道の取材・撮影、編集とナレーションまでを一人でこなす「ビデオジャーナリスト方式」や、市民参加型の「パブリックアクセスチャンネル」等、他のケーブル局にはない手法で、開局時からコミュニティチャンネルの充実化を図っていますね。

髙橋:地域メディアは市民が使うものであり、地域を活性化させるソーシャルネットワークです。つまり地域メディアの主役は市民であり、テレビを市民の手に取り戻そうという活動。だから、テレビ局として、報道番組も、パブリックアクセスチャンネルも、議会中継も選挙速報も議員同士の討論番組などなんでも制作して、放送します。