No.225 天を仰がないで、課題を解決するべし

2021年2月号掲載

失敗しても“仮定”の話をし続けてほしい

菅義偉総理が繰り返し、「仮定の質問には答えられない」という発言しているのを聞くと、どうして答えられないのか素朴に疑問に思う。
“仮定”の話に答えられないようでは、リーダー失格なのではないか。
リーダーは、たくさんの“仮定”を設定して、それを解決していくのが仕事だからだ。
この原稿を執筆している現在は、東京都は自粛要請中である。どうやったら、2月7日までにコロナ感染が「ステージ3」に戻るのか、科学的な基準を示すべきである。どのような状況のときに、自粛が解除になるのか、あるいは、もっと強化されるのか。精神論的なステージ目標や期限ではなく、感染源別アクションプランに則った“仮定”の数字が欲しい。そうすれば、みんなが目標を共有でき、収まれば短期間で元に戻れるかもしれない。少なくとも苦しい中にも共通の頑張れる目標設定ができる。
上意下達の特攻的な指示より、目標設定を共有できる課題にすることで、問題解決を政府だけのタスクにせず、官民あげての解決に繋げられると思う。
科学を詳しく知らない人でも、冬になり寒くなれば風邪が流行るのは知っている。この1月の異常寒波や2月の寒さを考えたら、飲食だけでなく、学校封鎖も止むを得ないのではないか。大学入学共通テストを行うなんて狂気の沙汰である。
昨年の4月の緊急事態宣言時より高い感染数値でも、ユルい施策で済ませようというのは、“仮定”さえ存在しない状態で判断しているのではないかと疑いたくなる。
“仮定”の話が示されないのであれば、危機管理ができていないのも同然なのだ。
生物には、「失敗許容主義」があるという。なぜ生物多様性が必要かというと、生物がすごい確率で失敗するからだそうだ。ある生物が失敗して子孫を残せず死に絶えても、別の生物が生き残ることで、生命の歴史は続いてきた。だから、多様性が大事なんだ、と。
政治の任務が国民の命を守ることなら、政治家はどんどん“仮定”の話をしてあらゆる対策を試みて欲しい。失敗しても、一縷の望みを見出せる努力をして欲しい。政治家から“仮定”の言葉をとったら何が残るというのだ。
我々が必要とするのはリーダーであって、マネージャーじゃない。だから、失敗しても“仮定”の話をし続けて欲しい。

シリコンバレーの起業家が禅が好きな理由

さらにもっとひどい話。
先日、東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の職員に対する年頭挨拶の中でこんな発言があった。
◎海外の観客の受け入れについて
「今の時点で決めることは不可能。入れるか入れないか、無観客開催が可能か、色々な意見も聞いて決めなきゃいけない。3月にかけて難しい判断が求められると思う。これだけは天任せと言わざるを得ない」と語った。
リーダーが「天任せ」「神頼み」と発言するこのメンタリティについて考えてみたい。
以前、禅僧侶に「なぜ、シリコンバレーの起業家は禅が好きなのか?」と尋ねたら、「それは、殆どの宗教が他力本願(神さま、仏さま、どうぞ助けてください)がベースになっているのに、禅(大乗仏教)だけは、自らが考える手法だったからリーダーに向いていた」と、かなり明確な答えが返ってきた。
なるほど。禅は自らのうちに自然を取り込み、心の働きを集中させることで、新しいアイデアを出すことができる、という点においてもリーダーに向いた手法と言える。
リーダーが判断を天に任せる、というのは「もう無策だよ!」って言うのと同じで白旗、降参を意味するのではないか。すべての判断はぎりぎりまで課題を抽出し、五感を駆使して行われなければならない。
課題の抽出に対して、解決する術をもたないリーダーたちの末路は天を仰ぐことだけなのか…。一国民として怒りしか感じない。


福田 淳 FUKUDA ATSUSHI
ブランド・コンサルタント
http://tabloid-007.com @fukudadesuga

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