No.221 タレント2.0の時代─タレントのDX(前編)

2020年10月号掲載

「最も個人的なことは、最もクリエイティブなことだ」
─マーティン・スコセッシ

ポストコロナにおけるタレント(ここでは広義の意味で俳優、芸人、テレビタレントを含む)の在り方とは…。今号と次号の2回に分けて、タレントの在り方についての考察を綴る。
まずは、タレントに必要な条件は次の3つ。
・免疫力(強い体と精神、食生活の維持)
・デジタル力(DX─リモートトラスト)
・VUCA力(臨機応変、偶然をものにでき、チームを作れる)
芸能人の自死が相次いでいる。本当に痛ましい状況なのである。芸能というと、特殊な仕事と捉えられがちだが、やっているのは同じ人間であり、ビジネスのひとつに過ぎない。この機会に、芸能人のビジネスモデルについて説明しておきたい。

1.タレントの収入構造を考え直す

タレントの収入は、大きく2つある。出演費(テレビ・映画・舞台)と広告収入(CM、イベント、Web)だ。
サラリーマンタレントは別として、独立して売れているタレントの殆どは、出演料よりも広告収入の方が多い。
タレントのポジションニングが権利として守られている国、契約においては、“良い表現=良い収入”が得られる。
また、中国や米国のようにローカル・シンジケーション市場がある国では、タレントは、キー局出演以外でもライセンス料がもらえる。米国の大ヒットテレビ『フレンズ』では、主要6人の一人当たりのギャラは放映当初1話250万円だった。しかし、シーズン3では1話1億円になった。再放送&関連収入の2%が6人に配布された。年間約1,000億円の収入があったため、6人は20億円の副収入を得た。
下記の記事のようにNetflixは、アダム・サンドラーに2019年33億(全体41億円の80%)のギャラを支払っているが、それは新作だけのギャラ算定ではなく、過去のライブラリーの累積20億回の視聴に対しての評価だった。

◆参考
・最も稼ぐ男優ランキング2020 Netflixが主要収入源に
https://forbesjapan.com/articles/detail/36425

日本のトップクラスのテレビドラマ出演ギャラは、1話500万円。シリーズ11本が基本なので1ドラマ5,500万円。1カ月間徹夜して撮影して、CM1本と同じくらいの稼ぎ。日本のキー局ドラマに出演してもローカル局への番販時の追加ギャラが出ることは稀。
ちなみに、中国のトップ女優ファン・ビンビンは、1話5,000万円。中国はシリーズが40エピソードなので、1ドラマ20億円となる。人口比といえばそれまでだが、それプラス、ローカル局へのシンジケーション収入も得られる。
日本においては、そもそもメディア構造の違いから、タレントのギャラは安く抑えられている。
1957年に田中角栄が郵政大臣(現在の総務省)に就任した際、集票マシーンとして地方の新聞社を資本として、キー局とローカル局をネットワークさせた一括免許交付をし、結果キー局の中央集権ができてしまった。また、米国のように放送とコンテンツ制作を分離せず一体経営を許したことで、制作したプロダクションのIP(知的財産権)も保有できた。
米国では、長年テレビ局と制作プロダクションの公正取引の観点から兼業は禁止されていた。それゆえにハリウッドがプロダクションとして力を持った。テレビ局はディストリビューション、ハリウッドは制作、タレントは権利とフェアな構造になっている。
一方、日本は、テレビ局が巨大な権利を持ってしまったことで、ヒエラルキーができてしまった。テレビ局→制作プロダクション→芸能事務所→タレントという構造の中で、タレントは最下層に位置付けられ、芸能事務所は、育成費を盾に移籍の自由を拘束してきた。また、移籍にあたっては、移籍料の分配や育成費の負担など非常に問題のある考え方を業界団体は示している。育成費に関して、調査すればわかるが、殆どそのコストは1本の出演料の数分の一で賄える程度の投資でしかないことが多い。ここはまるで調査、報道されていない。

2.メディアの変遷 テレビの歴史をおさらいしよう

前述の通り、田中角栄によって公布されたテレビの大量免許交付と東京タワー建設で、1960年代は映画、ラジオ、演劇からテレビメディアに一斉に人気がシフトした。『シャボン玉ホリデー』や『ララミー牧場』など、従来にない新しいコンテンツが大人気となった。同時に、テレビは映画や演劇より格下の扱いだったため、思いっきり自由な表現ができ、そこに人は魅了された。
そんなテレビが始まって、20年。1980年代後半になると、キー局は自社でプライムタイムの番組を100%制作できるようになった。いわゆる外画と呼ばれる輸入番組『チャーリーズ・エンジェル』(最終話放送82年)や『新スパイ大作戦』(91年10月終了)などがプライムタイムからなくなり、ダブル浅野のバブル時代(1988年放送の同局ドラマ『抱きしめたい!』からブーム)に突入する。
このときに、40代だった人たちが芸能プロダクションを発展させた。たくさんのテレビドラマが制作され、1990年にはVHSやDVDなど二次利用の市場も活況を呈した。(次号に続く)


福田 淳 FUKUDA ATSUSHI
ブランド・コンサルタント
http://tabloid-007.com @fukudadesuga

おすすめ