No.205 マスコミ分断の恐怖

2019年6月号掲載

インターネットの情報も分断が行われている

東西冷戦は過去のものと考えたい。しかし実際には、世界はもっと細分化されて分断している。東西などと大雑把な区分けがなくなっただけで、むしろ無数のサイロに分断されているのが現代ではないのか?
アメリカはトランプ大統領の登場とともに、メキシコとの壁を建築するという途方もない構想をぶち上げ、実際全部ではないにしても少しずつ建設は進んでいる。保護主義の台頭は対メキシコだけでなく、対中国においても中国からの輸入品に対する関税率を現行の10%から25%に引き上げ、孤立を深めている。
ヨーロッパも“ブレグジット”と呼ばれるイギリスのEUからの独立が世界的に耳目を集めている。他にも難民を多く受け入れてきたヨーロッパは100を超える民族が存在し、スペイン内にあるカタルーニャの独立運動の鎮圧には、他のEU諸国も同様な問題を抱えていることもあり、ことを荒立てたくないという思惑から、形だけの介入に終わっている。
大きな視点では、 EUは2018年5月に GDPR(欧州一般出データ保護規則)を打ち出し、アメリカ列強のGAFA(ガーファ)[Google, Amazon.com, Facebook, Apple]からのデータ流出を防ぐための分断を実施した。21世紀においては、単に大陸、国境だけではなく、インターネット情報の分断も進んでいるのである。

多様性はマスメディアにも求められること

さて、話を我が国日本に戻そう。幸いにしてというべきか不幸にもというべきか、日本は島国で陸続きの国境線もなく、難民受け入れも年間20~30名程度と信じられない国際貢献のなさで知られる国である。今回はそこをトピックスにしない。長らく同一民族で暮らしてきたことの弊害がたくさん出ているのだ。例えばマスコミの報道だ。
私は仕事柄、年の半分は海外で過ごしている。相撲協会の揉めごととともに海外にいき、2週間くらいで戻ってきてもまだ同じ報道をやっている。痛ましいとは思うが、老人による暴走車による交通事故死の問題もそんな連日報道するようなことではない。単に、老人の免許維持条件を厳しく法改正すれば済むことである。
もっと酷いのが、政治報道である。記者クラブに守られ、飼いならされた若い記者たちは与党政治家の言いなりになり、言論統制の片棒を担いでいる。日本では記者は若く、ある程度経験を積むと現場に行かず管理職になる。政権のスキャンダルを追求しようものなら、若い時に飼いならされた管理職がここぞとばかり、若者の血気を諌める。不偏不党とは名ばかりで、国民の生活より自分たちの出世や身の安全を重んじる。アメリカのように生涯記者として、ジャーナリズム精神を全うしようというものは皆無で、ましてや自由な発言ができるインターネットメディアは記者クラブに入れず、質問の機会もなくなる。
海外のどの国にいても普通に報道されていることが一切報道されていない国。それが日本なのである。世界ではブレグジットの行方、米中の貿易戦争の話などが中心のはずなのに、日本ではゴミ屋敷の主人の取材や無謀運転のレコーダー映像を流すだけである。
おそらく、島国であるというだけの問題ではないと思う。かつて田中角栄が行なったテレビ局の免許の大量交付、それに伴う系列化による中央集権的マスメディアの在り方が、異常な偏向報道を生んでいると思う。
今こそ、ローカル局に自立を促し、系列の解体をすべき時なのかもしれない。沖縄の対応を速報で北海道の人が知る必要はない。多様性は、人種や宗教だけでなく、マスメディアにおいても求められることだと思う。


福田 淳 FUKUDA ATSUSHI
ブランド・コンサルタント
http://tabloid-007.com @fukudadesuga

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