月刊「B-maga」 好評連載コラム『考えるメディア』 福田淳

No.203 ソーシャル格付けの時代

2019年4月号掲載

結審前に社会的制裁が下される現代社会

連日、セレブが逮捕されると、裁判所の判決より先に世論がその人をジャッジし葬り去る。
SNS時代においては、その白黒の付け方、スピードが猛烈に早くなったように思う。
ミャージシャン、俳優のピエール瀧さんが、コカイン使用の容疑で逮捕された。法治国家の日本にあって”推定無罪”(判決の降ってない容疑者は無罪という考え方)は適用されないかのようだ。日本での検察による逮捕で有罪になる割合はなんと99.93%(2016年実績)。だから、もはや日本は北朝鮮や中国と変わらない独裁国家的な要素を持っていることを強く認識した方がいい。ちなみにアメリカの場合は70%程度。
まあ結果有罪が何パーセントだろうが、単に容疑がかかっている実物に対して、結審の前に社会的な制裁が済んでしまっている現実はどうにかした方がいい。
それ以前に強制性交で逮捕された俳優の新井浩文さんとピエール瀧さんを比較して、クスリは被害者がいないから、社会的な制裁が酷すぎるという論調があり、それには驚いた。どちらも容疑者であるうちは、推定無罪であるべきだ。しかしながら、すでにメディアユーザーは陪審員以上の権限があるのかもしれない。

使ったことのない人まで企業をたたく

このようなメディアによる公開処刑が行われる背景の一因に、ソーシャルメディアの発展が作用していると感じる。以前なら、個人が多くの人に自分の意見を述べるツールがなかったから、テレビメディアなどが、新橋の駅前の声を“世間”と仮定して述べるに過ぎなかった(それも後年のネットメディアにより、やらせ疑惑にさせされているのだが…)。企業は、ネット革命以降、消費者の扱いに困っている。たった一人のツイートで商品が店頭から消えることも日常茶飯事とあっては、以前のような“呑気な商談としての世論”と仮定して過ごすことはできなくなった。
人は、たくさんの人より、きつい一人の方が怖さを感じるものなのかもしれない。
厳しいツイートは、企業にとって怖い存在になった。「そのCMは女性を蔑視しています」と呟いただけで「多くの方に不愉快な思いをさせ誠に申し訳なく…云々」と放映禁止となる。
以前なら、クレームはカスタマーセンターに電話され、その閉じた空間で処理されていた。今では、それが事実でなかったとしても、不快と思う一ユーザーの投稿をそのフォロワーが真贋の確認もなしに見てシェアできる。そのつぶやきに企業が対抗しようものなら、見ず知らずの、もしかしてその商品を使ったことがないユーザーまでもが企業を叩く。今やSNSでのつぶやきは渋谷のスクランブル交差点でトラックを倒すハロウィンナイトと化したのである。

作品こそが自己の責任で世界に対峙しているもの

このような状況から、企業は相手が反応する前に過剰な防御に回るようになった。
企業は、まだ何も言っていないユーザーの心境を忖度し、物事の判断をすることで、自分たちが失敗のない完璧な状態を作れると信じざるを得なかったのかもしれない。
レイプ犯かもしれない人を起用している我が企業の商品は、女性をバカにしているかもしれない、と。クスリでハイになった演技を見せられ間違って感動させてしまったら、映画会社は、クスリを助長していると捉えられかねないと考えるようになった。
テレビCMについては企業イメージが大事だから容疑の段階においても降板は仕方ないと思うが、テレビや映画の演技は所詮虚構の世界のお話に過ぎない。嫌なら、見なければ良いのだ。ましてや音楽の配信中止など愚の骨頂である。世界中でジャンキーの作って歌った曲を知らずに楽しんでいるに違いない。作品は、役者や、もっというと監督にも属していないと思う。
作品は、世に発表された段階で独り立ちし、自己の責任において世界に対峙しているものだと信じる。作品こそ、役者より毎日世界のどこかでジャッジされ、一握りの作品が世の中を感動で埋め尽くすことができる。
皆さんも冤罪の人の映画で泣いたことがあるなら、もう勝手に容疑者を裁くことはやめましょう。


福田 淳 FUKUDA ATSUSHI
ブランド・コンサルタント
http://tabloid-007.com @fukudadesuga

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