月刊「B-maga」 好評連載コラム『考えるメディア』 福田淳

No.202 不快なものを撲滅したい時代

2019年3月号掲載

新しい社会的不安を作り出しているとも知らず

誰だって不快なことは嫌である。でも、心地良いことは不快があってこその関係にあるのではないか。
フィルターバブルって言葉をご存知ですか? これは、インターネットで自分にとって心地良い選択をし続けることによって得られる“偽の快適な世界”のことである。
ティンダーって出会い系サイトアプリは、ひたすら自分の好みの男性や女性の顔写真が現れる。片手でスマホワイプして、“好き”“嫌い”を選択していく。どこまでいっても、無限にその選択ができる。その結果自分に好きな異性しか現れなくなる。
インターネット時代の初期の頃は、まだ素朴なアルゴリズムだったネットメディア。欲しいものを検索すると、どのサイトに行っても、検索結果と関連する商品が追いかけてくる。これをリターゲティング広告と呼んでいた(今もしつこくやっているサイトあるけど…)。
それがどんどん進化し、自分の好みをA I(人工知能)が勝手にディープラーニングし、自分の好きなものしか見えなくなる。
泥遊びをしなくなった子どもたちがたちまちアレルギー体質になるのと同様、無菌室で暮らすネット民は、次第にセンシティブになっていくのかもしれない。それが、新しい社会的不安を作り出しているとも知らずに。

“環境型セクハラ”を受けたと訴える女性

先日、日本を代表する現代美術家である会田 誠氏を“環境型セクハラ”を受けたと女性が訴えを起こした。これは、京都造形芸術大学の東京キャンパスで行われた公開講座に参加した美術モデルの女性が、講師を務めた会田氏の“性的発言”や作品から精神的苦痛を受けたとして、大学を運営する学校法人に慰謝料など約330万円の支払いを求める訴訟を東京地裁に起こしたものだ。
会田氏は「落ち着いた文化教養講座をイメージしていたなら、すごいギャップがあったでしょう。僕は芸術が『落ち着いた文化教養講座』の枠に押し込められることへの抵抗を、デビュー以来大きなモチベーションとしてきた作り手です」と自身のスタンスを主張した。
女性の行動を「本当に勇気ある声だと思う」と評価する人と、「自ら講義に赴き傷ついたと訴えるのはどうか。ちゃんと受講する前に調べるべき」と批判する人と意見は別れた。
もっと、身近な例でいうと、あるサービスが不快であるときに、その企業やショップに文句を言わないで、あえてTwitterなどのSNSにつぶやくことで、世論に訴え企業によりダメージを与える動向も増えてきた。

快適とか不快は個人的なもの

さて、拡大する個人の“不快”に対して社会はどう対応すべきなんだろう。
本来、快適とか不快って感覚は、個人的なものであって社会的なものではない。SNSの発達により、一個人の感情が社会に反映しやすくなったという側面はある。数人のクレーマーが、大手企業CMを放映停止に追い込むケースも相次いでいる。企業は防戦に回るしかなく、ひたすら少数意見にびくびくしながら生きている。やはり、こんな状況はおかしいと思う。少数を切り捨てろというのではない。不快の沸点を下げる努力を社会がすべきではないか。すぐにキレる子どもと同じように、アンガーマネージメント(怒りをコントロールする訓練)が必要だ。その程度で不快にならない精神、不快を拡大しないメディアマナー。コンビニ店員のふざけた映像をテレビの全国ニュースで取り上げる必要があるのか? もちろん、知ったら不快だけど、そのコンビニに二度と行かないとは思わない。昔からラーメン屋のおばちゃんが親指突っ込んで持ってきても、笑いのネタにしかならなかった。
寛容の精神を持って生きることが大事なのではないかと思う。


福田 淳 FUKUDA ATSUSHI
ブランド・コンサルタント
http://tabloid-007.com @fukudadesuga

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