No.199 テレビのモラルがなぜ向上したか

2018年12月号掲載

今のテレビには自由も楽しさもない

この息苦しさはなんだろう。テレビに感じるこの息苦しさときたら、筆舌しがたいものがある。ザ・ドリフターズの番組や、『夜のヒットパレード』で育ったバブル世代はテレビの申し子だった。幼少期は、深夜番組『11P M』を親にバレないように見て育った。テレビは、楽しいことも、エッチなことも、ときにはスレスレなことも笑って教えてくれた。いつのころからか、ポリティカリーコレクト(放送禁止用語)満載のメディアになった。SNS全盛期のいまでは、テレビに自由も楽しさもないような気がする。だから、若者のテレビ離れが起きるのだろう。田舎の殺人事件を2週間も報道し続けている国はない。結局、カネ絡みや怨恨以外の人殺しに明確な理由などない。“心の闇”ってなんなのさ。気がふれている人なんて町中にいて、珍しくないよね。そんな暇があるなら、もっと社会に役立つ調査報道をしてほしいものである。

テレビはいつのまにかテレビ局のものではなくなった

テレビ局の連中が向学心もなく遊び呆けている間に、編成はいつのまにか、テレビ局の力ではできなくなってしまった。芸能プロダクションの顔色を伺わないと、ワイドショーだけでなく硬派なニュースまで企画が通らなくなった。この国に専門家はいらないのかな。なんの知識も勉強もしてないタレントがニュースキャスターやコメンテーターをしている。新聞の見出し以上の質問も答えもない。だから、テレビはますます地盤沈下していく。ワイドショーが特に酷い。シリアでイスラム過激派組織に拘束されていたジャーナリストの安田純平さんの解放について議論が二分した。英雄か自己責任か。ある大学教授と話していて、はっきりと分かった。こんなテレビでも、いやこんなテレビだからこそ、ちゃんと見て、その背後にある問題について考えを巡らせなければならないのだ。本来、シリア情勢、対アメリカの政治など外交問題について語られるべき問題なのである。日本国が身代金を払ったか払ってないかなどは大して問題ではない。自己責任だから払うべきではなかったと声高に叫んでいる連中。ワイドショーのコメンテーター。思い出してほしい。すべて共通項があるのだ。それは“お笑い芸人”ということ。一般コメンテーターが言っているのは記憶にない。つまりそれは、お笑い芸人のアイデンティティに触れる事件だったということなのだろう。宗教的にも無関係な日本人が行くなと言われた中東の果てに行って3年間も拉致されて帰国する。こんなアウトローな“おいしいネタ”を持っていかれては芸人も立つ瀬がない。これは自己防衛本能かもしれない。言っている本人たちは無意識なのであるまいか…。問題はそこじゃないんだよ。彼らはテレビというメディアに出ているのではなく、テレビのフレームの中での居場所を探しているだけなのだ。そんなだから、近年のテレビは無駄にモラルが向上してしまった。けど、それは見せかけだけのハリボテに過ぎない。

SNSも正義をかざしすぎた

SNSも正義をかざしすぎて、極端にバランスを失っている。世界中で右傾化が進んでいるのは、かなりの部分SNSのような気がする。“SNS=世論”という図式が、新国立競技場のザハ・ハディトさんのデザインをこき下ろし、もっとロクでもないことになった。きっと、大阪万博も同じことが起きる。いまや、最初が失敗しないと次が認められないし、次も叩かれるだけ叩かれてすっかり角がなくなっていくに違いない。いつからこの国の国民は選挙を放棄して、税金の使い方だけ小姑のように愚痴るようになったのか、深く内省すべきと思う。


福田 淳 FUKUDA ATSUSHI
ブランド・コンサルタント
http://tabloid-007.com @fukudadesuga

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